『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第14回)

2012年7月19日 (木)

  『表現文化論Ⅰ』最後の授業のテーマは「笑いとユーモア」について。担当は落合先生。普段見ているコメディ番組やドラマを見ている時、何気なく起こる笑いはどうして起こるのでしょうか。

今回は笑いが起こる仕組み、そして、その笑いを引き起こす「ユーモア(おかしみ)」の特徴について考える授業でした。

 社会がグローバル化するにつれてますます注目を浴びているものの一つに「ユーモアのセンス」があるそう。実際に欧米の企業で「問題に直面したとき、ユーモアで打開したことは?」と聞かれることもあるほど。「ユーモア」がある人は柔軟性、寛容性があるためコミュニケーションが円滑にとれ、また創造力にあふれているため、新しいアイディアを出せると高く評価されることも少なくないそうです。

 授業では、イギリスのコメディ番組やドラマ、文学作品、諷刺画、演説など、映像も通して、登場人物たちがどのような「ユーモア」を創造し、そして、それらがどのように周囲の状況や他者に影響を与え、人間関係を円滑にしていっているかについて考えていきました。

 落合先生によると、世界の女性も男性も相手に「ユーモアのセンス」を求めていることが多く、「ユーモア」がある人はかなり魅力的だとか!?P1010033_2

(学生のコメント)

・日本的な内輪でしかうけない閉じたコミュニケーションは、これからの社会に合わないので、グローバルな視点から笑いというものも少しずつ変わっていくのだと実感した。

・ユーモアに社会的役割があると知って驚きましたが、「諷刺」と言われて、「なるほど!!」って思いました。

・相手を和ませるようなユーモアのセンス、心の余裕が持てたら良いなって思いました。

・ユーモアは人間関係を構築し、効率的な作業をするためには必要なことなのだと分かりました。

・チャーチル元首相の諷刺のユーモアを考えた後、日本のユーモアを考えてみるとあっさり聞こえてしまって物足りないかもって思えました!日本のユーモアと欧米のユーモアって違うんですね。

・ユーモアを活用して攻撃性を軽減しながら不満をぶつけ、そこから人間関係を和やかにできるというのは印象的でした。

・笑いとは芸人のギャグで笑うものだけかと思ったけど、対象のものとのズレやギャップで笑いが引き起こされると知って納得しました!

・「ピーターラビット」のラビット夫人のセリフやミスター・ビーンの行動は、常識や社会規範から期待されるイメージとズレがあり、それが面白さを引き起こしているのだと分かり感激しました。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第11回)

2012年6月28日 (木)

『表現文化論Ⅰ』第11回目の授業は講談鑑賞です。

高座に座布団が置かれた舞台上は落語と似ているようですが、
座布団の前に置かれた「釈台」は講談独自のもの。
講談は、釈台を「張り扇」で叩きながら、
戦国時代を舞台にした「軍談」や人情噺を取り入れた「世話物」を読みすすめます。

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外部講師の仲野基道先生から、落語と講談の違いについて伺います。
落語は登場人物の会話を通して物語を展開する、「話す」ものであるのに対し、
講談は本に書かれている通りに「読む」ものだと言えます。

講談の実演は日向ひまわり先生。
武士の出世物語「加藤孫六」と世話物の「孝女・秋色」を実演してくださいました。

「読む」といっても、ただ音読をするだけの素っ気ないものではありません。
「加藤孫六」では、馬の背にまたがり疾走する少年・孫六の躍動感が、
「孝女・秋色」では、才気に溢れながらも素直で可憐なお秋の真心が、
ひまわり先生によって時にほがらかに、時に切々と読まれていきます。

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親が子を、子が親をいとおしく思う気持ち。
自分の夢をまっすぐに追いかけるひたむきな気持ち。
講談が伝える、戦国時代や江戸時代の人々のそんな気持ちは、
案外、現代を生きる私たちの胸の奥にも眠っているものなのかもしれません。

【学生のコメント】
・日向ひまわりさんの表情や声が色んな風に変わっていくのがすごいと思いました。
・張り扇を叩く音が場面転換を表しているのだな、と思った。
・本に書いてある通りに読んでいると思って聞いていても、その世界に引き寄せられ、本当にその時代の人がしゃべっているかのような不思議な感覚がありました。
・ついつい夢中になって聞き入ってしまうような講談にすごく感激しました。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第10回)

2012年6月23日 (土)

今日は「日系アメリカ人」について学びました。前半は講義、後半はビデオを見ました。

学生のみんなは、私語も無く、熱心に耳を傾けました。

日系アメリカ人とは、アメリカ合衆国市民の中で、日本にルーツがある人々のことです。今では「模範的市民」と評されるほどの日系アメリカ人たちが現在の立場を築くまでには、想像を超えるほどの苦難の道のりがありました。しかし、このことはアメリカでも日本でもほとんど知られていません。

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年の国勢調査によると、日系アメリカ人の人口は122万人あまりで、全米人口の0.4%を占めています。アメリカ合衆国に移民として日本人が渡ったのは19世紀末のことで、1900年から1910年には入国者数が13万近くになり、そのピークを迎えます。

日系アメリカ人たちは、偏見や差別と闘いながら、1930年代には安定した生活を手に入れることになります。しかし、1941年に日本国海軍が真珠湾を攻撃した日から、その生活は一変します。日系アメリカ人の指導的立場にあった人たちは逮捕され、1942年には太平洋岸住む日系アメリカ人約十二万人が強制収容所に入れられました。それまでに築き上げた財産を二束三文で処分し、手荷物一つで強制的に収容されたのです。その7割はアメリカ生まれでアメリカ市民権を持つ二世たちでした。鉄条網に囲まれ、彼らはプライバシーもない不自由な生活を余儀なくされます。

自分たちが忠誠なアメリカ市民であることを証明するため彼らが選んだ道は、第二次世界大戦でアメリカ合衆国のために戦うことでした。日系二世で編成された第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団は、その規模の部隊としてはアメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に燦然と輝いています。父母の祖国である日本と闘う苦悩を抱えながら、アメリカでは人種差別と闘い、戦場では多くの犠牲者を生みました。1945年終戦後、トルーマン合衆国大統領は「諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、そして勝利した」と最大級の賛辞を送りました。

日系アメリカ人たちは強制収容から解放され、新たな生活を再開することになりますが、差別や偏見が完全に無くなったわけではありません。アメリカ政府が日系アメリカ人の功績を認め、正式に謝罪をしたのは1988年のことでした。強制収容された日系アメリカ人に一人当たり2万ドルの補償金を支払うことを約束しましたが、多くはすでに死亡し、高齢化していました。

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学生のリアクションペーパーより

★「日系アメリカ人」という名称は知っていても、意味は知りませんでした。今までの歴史の授業でも、日本側からのことしか教えられなかったからかなと思いました。今回、知れて良かったと思いました。

★日系人の方に感謝すると同時に、二度とこんな事(強制収容)が起こってほしくないです。

★今までは、第二次世界大戦というと、米国と日本という二項対立でしかとらえていませんでしたが、その間にある「日系アメリカ人」という立場は、激しい葛藤があったのではないかと思います。「孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならず」(親に従おうとすれば国に背くことになるし、国に従おうとすれば親に背くことになる、という意)、の言葉には、狭間に揺れる彼らの気持ちが集約されていると感じました。見ていてとても辛かったです。でも、知るべきことなんだと思いました。

★今まで聞いたことのない話だったので、今日聞いた時、とても驚きました。日系アメリカ人は、こんなにもひどい目に遭っていたんだなんて、思ってもいませんでした。

★日米の関わり、真珠湾、戦争といった関心のある内容だったので、今日はお話が聞けて良かったです。さらに興味関心が深まりました。どんどん過去のものになってしまう「戦争」というものを知らなければならないと思いつつも、機会に恵まれないのが現状です。日本人としての視点、その他の広い視点で「戦争」を見つめ直す、知る、ということは本当に必要なことだと思います。

★日系として育った人たちがどれだけの差別を受けて大変な目に遭ったのか知らなかったので、とてもショックを受けました。日系人たちが戦争の間どんな事をしたのか、そういう事実をちゃんと伝えていかなければならないと思いました。

★大変な思いをしながらも模範的民族と呼ばれるほど尊敬されるようになり、私達日本人が安心してアメリカに旅行できるのは、日系人のおかげだと思います。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第9回)

2012年6月20日 (水)

今日の授業のテーマは、先週に続いて「歌舞伎」、担当は平野先生でした。

二日前に国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で「俊寛」を観たばかりです。

今回の授業では、その記憶が薄れないうちに、歌舞伎についての学びを深めました。

「俊寛」のラストシーンでは、舟を見送る俊寛の姿を効果的に見せるため、廻り舞台が効果的に使われていました。

江戸時代の芝居小屋(香川県琴平町にある「金丸座」)で今も行われている「こんぴら歌舞伎」の映像を見ながら、

花道、廻り舞台、せり、がんどう返し等、歌舞伎の華やかな舞台装置や演出について具体的に学びました。


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歌舞伎鑑賞教室で観た「俊寛」は、歴史的な事件などをテーマにした時代物の演目でしたが、

そのほかにも歌舞伎には様々な演目があります。

数ある歌舞伎の舞台のなかでも、平野先生おすすめは、板東玉三郎が演じる歌舞伎舞踊「鷺娘」。

この演目は、美しい娘の姿をした鷺の精の恋の苦悩を舞踊で表現したものです。

〈引き抜き〉や〈ぶっ返り〉といった舞台上での衣装の早変わりの効果や、洗練された役者の動きなどに注目しながら、

歌舞伎の花形である女方(おんながた)の魅力に触れました。

(学生のコメント)
・歌舞伎の舞台では、限られた空間で奥行きがあるように見せているのがすごいと思った。

・「鷺娘」の玉三郎さんは、指先や足の運びが一つ一つ優美で、繊細で、つややかに見えました。終盤の悩ましげな表情が美しかったです。

・機会があったら、もっと色々な演目を観てみたい。日本はもっと自国の伝統芸能を誇っていいと思う。
・歌舞伎の劇場だけなく、横浜アリーナなどでのコンサートでも「花道」が使われている。歌舞伎の文化が今も他のところに使われているのだと気づいた。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第8回)

2012年6月 7日 (木)

短期大学部では毎年6月に国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に参加しています。

今日の授業では観劇のプレ講義として、
歌舞伎の語源や歴史について学びました。
担当は平野先生です。

屏風絵などの絵画資料を見ると、
出雲の阿国から現代まで、〈かぶき〉がどのように変化してきたかがよく分かります。
DVD
教材を使って、歌舞伎鑑賞のポイントについても学びました。

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また助手の細谷さんが、
観劇する演目「平家女護島」の「俊寛」について解説しました。

「平家物語」の俊寛から「平家女護島」の俊寛へ。
近松門左衛門は「平家物語」と同じ結末を用意しながらも、
そこへ至る過程の物語を大胆に創作することで新たな俊寛像を描きました。

物語を先に把握しておくと、
観劇当日は自分なりの興味を持って舞台や役者さんに注目できそうです。

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(学生のコメント)
・隈取にはいくつも種類があり、それが役柄を表していることに驚いた。
・歌舞伎は元々は女性が演じていたとは知らなかった。
・俊寛のあらすじが頭に入ったので、鑑賞会が楽しみになった!

歌舞伎の授業は来週の観劇を経て、次回の『表現文化論Ⅰ』に続きます。


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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第6回)

2012年5月28日 (月)

今日のテーマは日本の伝統芸能「落語」。

講師をお招きしての特別授業です。

まずは仲野基道先生から、

噺の構造や小道具の使い方など、落語に関する基本的な事柄を教えていただきます。

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落語は1人の人が座ったままで、すべての登場人物・場面を演じ分ける芸能です。

1人で多くの人を演じ分けるために、

上手(かみて)や下手(しもて)に顔の向きを変えて演じます。

そして、いよいよ柳家三三師匠の登場!

三三師匠は実際に手ぬぐいと扇子を使って、さまざまな動きを演じてくださいました。

1枚の手ぬぐいが本や手紙に。

1本の扇子が筆から箸に、箸から刀に。

まるで目の前にそのものがあるかのような、鮮やかな表現力に驚かされます。

仲野先生のお話にあった「上手」「下手」の演じ分けについて、

お芝居と落語を比較しながら説明してくださいました。

お芝居では人物の立ち位置が入れ替わる複雑な動きも、

落語では座ったまま、顔の向きとしぐさで表現します。

最後は三三師匠の落語実演。

演目は「みそまめ」と「道灌」。

三三師匠の張りのある声と豊かな表情に、教室にはたくさんの笑い声が響いていました。

落語の魅力にたっぷり浸れる、有意義な授業となりました。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介 (第5回)

2012年5月17日 (木)

Jpg

コミュニケーションでジェンダーについて考えた流れを受けて、文学カテゴリーに入ります。
日本文学史上、女流文学が最も栄えた平安時代を対象に、文学における女性視点について考えました

最初に、なぜ1000年前に女流作家が輩出したのか、彼女たちが書かずにいられなかったことは何かを探っていきました。

次に平安文学の中で注目される怨霊を取り上げ、男の怨霊と女の怨霊の出現理由と出現状況を比べました。それぞれの代表人物は、菅原道真と六条御息所です。

最後に、六条御息所が生霊になる場面をアニメ映像で楽しみました。

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学生たちはアニメ作品の映像が強烈に印象に残ったようです。

               (担当:赤間)


(学生コメント)

・私は、貴族は一見豊かな暮らしをしていて幸せそうだと思っていたけど、女性作家が書いた書物などには、私たちが想像できないような苦悩があって、大変だと思った。

・ビデオによって六条御息所の気持ちがすごく伝わってきて、この時代の女性の辛さが少しだけわかった気がします。

・現代は昔に比べ、女性も自由にやりたいことができるようになりましたが、まだ、女性だから、男性だから、という考え方は変わらないと思いました。

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第4回)

2012年5月10日 (木)

3回シリーズでコミュニケーションに迫ってみましたが、そのラストが本日。
コミュニケーションを研究するための切り口は多々ありますが、
本日は「ジェンダー」と「ことば」がテーマです。

最初に、ある作家が書いた小説の冒頭文を読み、
その作者の性を当てる、というクイズを行いました。

履修者全員が「女性」と判断した小説の書き手は・・・実は男性。

では、私たちは何を根拠に、その冒頭文の作者を「女性」と
判断したのでしょうか。

そんな素朴な疑問から「ジェンダーとことば」を追求していきます。

続いては、海外のスポーツ選手の自称詞について考えてみました。
(ちなみに、本日取り上げたのは、ロンドンオリンピックでの活躍が
期待されるウサイン・ボルト選手です)

日本語に翻訳される時に選ばれる自称詞は?

「オレ」「ボク」「ワタシ」「ワタクシ」・・・?

ボルト選手の場合、スポーツ新聞のインタビューにおいては、
「オレ」で訳されることが多いんです。
力強さのアピールだと言えるでしょう。

私たちは、女性だから「女性らしいことば」を、
男性だから「男性らしいことば」を使うわけではありません。

「ことばを使う行為」によって、多様なジェンダー・アイデンティティ、
つまり、「自分がどのような人でありたいか」を創り上げているんですね。
                                 (担当:星野)

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(学生コメント)
・普段あまり意識しないことをまじめに考えるのが面白かったです。

・無意識のうちに、なんとなく「女性らしさ」「男性らしさ」を判断していることに驚きました。

・言語使用にみられるジェンダーで「女性同士が最もほめ合う」というのは共感できました。

・私たちはことばによって「らしさ」を使い分けているということがわかりました。

・女性らしさや男性らしさが無意識のうちに判断されてしまうのなら、逆にそれを利用して誤解させることも文章の上では可能だと気づき、すごく驚きました。

・「自分らしさを表現する手段としてことばがある」―この考え方はすごくわかりやすかったし、自己表現は難しいなとも感じました。もっと女性らしい女性になれるよう、美しい日本語も使えるようになりたいと思いました。

・「今からいくわ」という表現ですが、「わ」を下降イントネーションで発音すれば、確かに男性も使うと思いました。

【スライドの紹介 ―イラストの二人はどのように言うでしょうか】
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英文専攻2年生と英語コミュニケーションコース1年生の交流会開催

4月30日(月)9時30分から14時まで、文学科英文専攻の2年生、表現文化学科英語コミュニケーションコース1年生のそれぞれの有志が集まって、交流会が行われました。
午前はチャットルーム(お昼休みにシーラ先生と昼食を食べながら英会話ができる部屋<もちろん無料!>)で、まずは英語で自己紹介。その後、英語版フルーツバスケットで、オニとなった1年生に2年生がヒントを出す場面も多々あり?!(1年生、優しい2年生で良かったですね~。)
イントロゲームでは、それぞれ得意とする音楽ジャンルの曲が流れると大興奮!!
英語タイトルやアーティスト名を正しく発音して答えるのに苦戦している場面も見受けられましたが、学年の壁を完全に越えて協力し合ってました!接戦になってくると、正解チームは全員でハイタッチしてましたね~。
ゲームの後は、昼食をとりながら授業のこと、学生生活のこと、教員のこと!?等、幅広く情報共有しました。
1年生にとって、これらの情報は充実した短大生活を送れるかどうかを左右するので、みんな興味深々。
(ところで、教員について、どんなことを話したの?)

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午後はみんなで新座駅近辺のカラオケボックスにGO!
とにかく盛り上がりました。それにしても、みんな慣れているし、うまいし、いろいろな曲を知っていますね~。
特に最新曲。教員は全くわかりません(笑)。
最初こそ緊張していた1年生でしたが、時間が経つにつれてワイワイガヤガヤ。

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2年間の短大生活では縦の交流がおざなりになりがちなので、今回の交流会は2年生にとっても1年生にとっても、とても良い経験になったようです。どうやら、今回の交流会を機に、新たなイベントを企画中?!

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『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第3回)

2012年4月26日 (木)

『表現文化論Ⅰ』の第3回。

シーラ・クリフ先生の授業は、英語による絵本の朗読から始まりました。


象が主人公の絵本を鑑賞した後で出された課題は、

上・下・右・左・前・後ろから見た象の姿をそれぞれ描くこと。

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簡単、と思いきや…

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うーん…


鼻が長いのが特徴の象も、

異なる角度から見てみると、全く違って見えるものです。


前から描くのが得意な人、

横からの方が上手な人など、

人によって描き方が異なることも、面白い発見でした。



実はそれは、国の姿でも同じこと。


今日の授業テーマは、「外から見た日本」。


日本は世界各国から、どのようなイメージを持たれているのでしょう。


美しい情緒に満ちた国。

過去の歴史を反省しない国。

ポップカルチャーの最先端である国。


受け取る側の立場・歴史・習慣・文化によって、

日本という国の捉えられ方はさまざまに変化することがわかりました。


(学生コメント)

・私たちが考える日本の姿が世界共通でないことに驚いた。

・見る人の立場によって、物事はまったく違って見えるんだな、と気付いた。

・自分で絵を描いたりしながら考えたので、すごく納得した。

・先生が英語で話すところは少し難しかったけど、日本語でも解説してくれてよく分かった。



「『外国』という名前の国は、世界のどこにもありません」

というシーラ先生の言葉がとても印象的な授業でした。

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短期大学部『表現文化論Ⅰ』授業紹介(第1回、第2回)

2012年4月20日 (金)

平成24年度から始まった表現文化学科。
木曜日の1限は表現文化学科に所属する教員によるオムニバス授業です。(学生は必修科目)

第1回は武田先生の授業。
「人間・表現・ことば」がテーマで、人間が生物的進化を遂げるなかで、本能を超えた過剰性としての文化や文明がどのように生れたのか、という興味深い内容です。私たち人間の行為全般が「文化」であり、「表現」はそれが形をとってあらわれたものとして考えてみよう、というこれからの連続講義の序論らしい締めくくりでした。

(学生コメント)
・文化というのは知れば知るほど奥が深いものだと思った。
・考えてみるとあたりまえに見ていた事も奥が深くとても面白かった。
・文化が形として表れているものが表現だということにとても納得しました。

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第2回は福岡先生の授業。
グローバル社会、高度情報化社会の中、私たちはどのようにコミュニケーションをとったら良いのかがテーマです。思考、ジェスチャー、パーソナルスペース等、日本と外国の違いを例をあげながら、わかりやすく解説して頂きました。また、福岡先生によれば、男女の会話は異文化間コミュニケーションの一つであるとのこと!?

(学生コメント)
・国や地域によってコミュニケーション方法や価値観がいかに違うかが分かった。
・男女間でこんなにも考え方が違うなんて驚いた!
・これからは日本だけの視点ではなく、もっと広い視点から物事を見ることができるようになりたいと思った。

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第3回以降も随時アップしていきますのでお楽しみに!

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